2009年11月30日月曜日

リヒテル、アシュケナージ、クロード・チアリ




 稲田堤のディスク・ユニオンへ行き、「プロコフィエフピアノ協奏曲全集2枚組」ウラディミール・アシュケナージ、アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団。「ブラームスピアノ協奏曲第1番」エレーヌ・グリモー、クルト・ザンデルリンク指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団。「グリーグ、シューマンピアノ協奏曲」スヴァトスラフ・リヒテル、デヴィッド・オイストラフ、ルドルフ・バルシャイ指揮ソビエト国立交響楽団。3組4枚を購入。
 帰宅後NHK BS-1でワールド・カップ、アジア予選、北朝鮮vs韓国を観る。良い試合をやっていた。ボール・ポゼッションはほとんど韓国が支配していたが、北朝鮮の粘り強い守りとチョン・テセのほとんど入ってるんじゃないかと思うヘッディングは見事だった。1:0で韓国が勝ったが、北朝鮮も強い。
 i-tune storeで次のエレキギター・レッスンの課題曲クロード・チアリの「夜霧のしのび逢い」Claude Ciari ”ALa Playa”をダウンロード。
 昨日、稲城図書館で借りて来た、「初恋ソムリエ」初野晴、角川書店、2009.9.30、の続きを読む。

2009年11月28日土曜日

yomyom


 今日はyomyomの発売日、張り切って用賀の優文堂へ行き購入。だけどスポーツ特集って割には大したこと無くてガックリ。
 昨日受け取れなかった、「ガツン!」を取りに麻生図書館へ行き、帰宅すると稲城図書館から「初恋ソムリエ」が届いているとのメール。嬉しいネ!「たなぞう」で推薦してもらって、図書館に予約して置くってのは、最強コンビだね。

2009年11月27日金曜日

ガツン!


 「ガツン!」ニック・ホーンビィ、福音館書店、2009.10.21、が川崎市麻生図書館に入ったとのメールを受け取り、図書館に向かうが財布をわすれ、その中に入れていた図書カードを忘れていたことに気付いたが、時すでに遅し、7:00PMの閉館時間に間に合わない、しょうがないと今日はもう読むことを諦めてションボリ帰宅。 急いでギターの練習を御座なりにして、ギターレッスンへ行く。先週クリア出来ず、1週延ばしになっていた「霧のカレリア」を何とか終了して次回からは霧つながりでクロード・チアリの「夜霧のしのび逢い」又又懐メロだ、先生懐メロが好きだなあと思いつつも、サンタナの「Samba Pa Ti」をやりたいと言いだせなかった・・・、又、10年早いと言われそうな雰囲気だったので・・・

2009年11月25日水曜日

海の上のピアニスト


 「ボクの音楽武者修行」小澤征爾、「退出ゲーム」初野晴、読了。稲城第三図書館に「退出ゲーム」を返却、予約していた「海の上のピアニスト」アレッサンドロ・バリッコ、白水uブックス、2008.10.30、を受け取る。

2009年11月22日日曜日

結婚式


 稲城第三図書館に「よろこびの歌」を返却、予約していた「退出ゲーム」初野晴、角川書店、2008.10.30、を受け取る。
 礼服を着てSAHO-CHANの結婚式に出掛ける。「新百合ヶ丘」駅まで歩いて行き、途中、麻生図書館に寄り、借りていた「サッカー狂時代」と「おれたちザ・コミットメンツ」を返却。「代々木上原」で急行から各駅に乗り換え「代々木八幡」に着いたのが集合時間の10分前。昼食を摂る時間がなくなってしまった。
 会場の代々木八幡宮に着いたのがジャスト2:00PM、SAHO-CHANの花嫁姿の写真を撮ったり、TOMOYO-SANからお握りとお茶をいただき、昼食代わりに食す。3:00PMに神主さんから式次第の説明があり、神社で挙げる本物の神式の結婚式に出席するのは初めてだ。新郎のSINYA-KUNはキリッとした良い男で、いつもニコニコして優しいSAHO-CHANとはお似合いのカップルだ。
 祝詞をあげてもらい、お神酒をいただいて、4:00PM目出度く結婚式が終了。お父さんのKEN-CHAN、お母さんのTOMOYO-SAN、妹のNAYU-CHAN、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんも幸せそうで良かった良かった。
 私も久しぶりに妹夫婦のYOSHIRO-SAN、ETSUYO-SANや弟夫婦のTAKEO-SANやMITSUKO-SANと話し、近況報告やら子供達の様子やらお喋りに忙しい。
 5:00PMに「代々木八幡」駅近くの日本料理屋「いなば」に会場を移し、親戚一同の紹介やらご馳走をいただく。ご主人が四条流の板前さんで結婚のお祝いに包丁式を披露。南房総市千倉町の料理の神様、高家神社に奉納する儀式だそうで、偶然にも私達兄弟の田舎だ。
 お酒をいささかいただいたのでフラフラしながら「代々木八幡」駅から小田急線で、途中経堂で急行に乗り換え「新百合ヶ丘」駅へ、自宅に着いたのが10:00PM頃だったのか、ハッキリ覚えていない。

2009年11月21日土曜日

サッカー高校選手権


 平塚競技場で行われた、サッカー高校選手権神奈川県予選決勝は武相高校が大本命の第一シード、桐光学園を2:1で破って初出場を決めた。
 横浜市、川崎市と2つの政令指定都市を持つ神奈川県の決勝が陸上競技場で行われるのはいかにもサッカー後進国の日本らしい。全国の決勝も国立競技場だし。陸上競技場を高校サッカーの聖地などと呼ぶのは止めてもらいたい、淋し過ぎる。
 西が丘や保土ヶ谷は素晴らしいサッカー場でこういうピッチにたてるのは選手も嬉しいだろうと思うが、ピッチとスタンドが遠く離れた陸上競技場は臨場感が伝わって来ないのだ。
 日本のJリーグで独自のサッカースタジアムを持っているのは、柏レイソルと名古屋グランパスだけ、いずれも大企業がバックアップしているチームだけだ。あとは自治体にお願いして借りているだけ、それも専用スタジアムはほとんど無い。埼玉スタジアム、フクダ電子アリーナは良い、未だ行ったことはないが、日本平と鹿島にも行ってみたい。
 早く日本にもサッカークラブ各々が自分のスタジアムを持てる時代が来れば良いと思う。イングランドではプレミアリーグから3部まで100ものプロチームがあり、それぞれがリッパなサッカースタジアムを持っている。
 日本に本当のサッカー文化が根付いてない証拠で、これで強くなれなんて言うのは日本代表が可哀想だ。JFAシッカリせいと言いたい。せめて首都東京に10万人規模のサッカー専用スタジアムが欲しい。
 ジュニア達が砂や小砂利の混じった土のグランドで必死になってボールを追い掛け、膝を擦り剥き、血を流しているのを見るに付け、情けなくなってしまう。
 昼食はみんなで用賀駅そばの「酔苑」へ行ったついでにSBS地下の優文堂へ行き、「たなぞう」で「奏亜」さんから推薦のあった「麦ふみクーツェ」いしいしんじ、新潮文庫、2005.8.1、700円と「ボクの音楽武者修行」小澤征爾、新潮文庫、1980.7.25、420円を購入。「ボクの音楽…」は本棚を探せば有ると思うのだが、見付かりそうもないし、ストーリーも忘れちゃってるから、420円だし、もう一回読んで、出て来たら誰かに上げるつもりで購入した。

2009年11月20日金曜日

よろこびの歌


 WEB本の雑誌の投稿サイト「たなぞう」で「ベアandリーチェ」さんから推薦があって稲城図書館に予約していた「よろこびの歌 una bella madonna」宮下奈都、実業之日本社、2009.10.25、が第3図書館に届き、受け取りに行き、早速読み始める。音楽好きな女子高校生の物語だが、第1章を読んだところでは、未だ面白いとも思わない。これから読み進むにつれて面白くなるのだろう。ズットこのままだったりして…
 ギターのレッスンだったが、絶不調、普段なんでもなくできているところで間違えてばかりいる。今週で終わって次の曲に入る予定だったのに、もう1週同じ曲をやることになってしまった。

2009年11月19日木曜日

みんなのゴルフ


 5:50AMにKentaro-kunに自宅まで迎えに来てもらう。Kentaro-kunの車はメルセデスの2シーターのスポーツカー、いかにも早そうだ。私のオンボロ・メルセデスSL500とは大分違う、比較するのも可哀想な位だ。カーナビに従って走行すると、稲城大橋から中央高速を都心に向かい高井戸インターで環八へ早朝なのに車が多い、ミンナ朝早くから頑張ってるんだなあ。
 練馬インターから関越に乗り、埼玉県を縦断、藤岡ジャンクションを長野方面へ、富岡インターで降り、レイクウッド富岡コースへ、2時間のドライブ。こんな遠くまで、私一人なら絶対来ないのだが、Kentaro-kunが乗せて来てくれて、感謝。
 コースからは西に妙義山とその奥に雪を被った浅間山、北には榛名山、南に奥秩父の山々が見えて素晴らしい。先日「クレヨンしんちゃん」の作者が転落死した荒船山も平らな山頂を見せている。赤坂、原田、斎藤と一緒の組でラウンド、赤坂の上仁さんのモノマネで大笑い、原田のツッコミと斎藤のボケの漫才で楽しく回る。
 午前は49と余り良くない、理由は解らないが、ショットが左へ左へ行ってしまう、きっと肩の捻りが十分じゃないのだろうと思うが修正できない。
 昼食に五目焼きそばをいただく、銀座LIONのレストランだが、余り美味くないなあ。午後はショットは良くなり#3~#5まで連続パーオンするが、全部3パットでガックリ。結局45で上ったが、22パット。と言うことはショット数は23でショットとパットがほぼ同数と言うこと、ヒドイなあ。ちなみに午前中は17パットだったので、ショット数は32回、こちらも非道い。そうすると、午後はミスショットが5回だけと言うことじゃないか、パットが普通だったら、41で上れる処だった、なんてレバタラを言ってもショウガナイ。結局、グロス94、HC11で、ネット83の6位タイだった。
 帰りは練馬の出口が混んでいたので、鶴ヶ島ジャンクションから圏央道に廻り、中央道を国立ち府中インターで降り、7:20PM頃帰宅。こちらのルートの方がチョッと早かった。
 帰宅後、NHK BS-1でアジアカップ・予選リーグ、香港戦をTV観戦。4:0で勝つがまあレベルが低いんだから、そんなに褒められない。そんな中でも長谷部のミドルシュート、中村俊輔のフリーキックは良かった。内田のシュート、トゥーリオのヘディングも惜しかった。お疲れで10:30PMには早くも就寝した。

2009年11月15日日曜日

東京都ジュニア大会


 昨日と打って変って、今日は良く晴れて、暖かい。KOIN達の東京都ジュニア大会の2日目。昨日の試合で2位になったチームどうしのトーナメント。第1試合は10:20AMからAZ’86青梅ジュニアと対戦する。今日はKOINもチームも元気なく、少々お疲れの様子。4:0で完敗してしまう。第2試合は12:50PMから杉並FCと対戦し、この試合も3:2で敗戦。KOINは出場機会なくベンチ。KOINもチームも試練の時だ。良い勉強の機会と思って、又頑張って欲しいものだ。
 A~Dブロックまであり、各々12チームとして、4ブロック×12チームとして合計48チームの大会とすると、Dブロックの2位トーナメントで2連敗したので、全体の順位は解らないが、Dブロックの順位は、参加12チーム中8位と言うことでした。又、練習して5年生では上位に行けるよう期待しましょう。

2009年11月14日土曜日

サッカーボーイズ


 雨模様で試合開始が早まり9:20AMキックオフ。今日はKOINの東京都ジュニア大会を府中少年サッカー場へ観に行く。50チームが参加しているとあって、会場はごった返している。3チームのリーグ戦。
 第1試合は福生牛浜FCと対戦し、2:0で勝利。福生だけあって、黒人のハーフの子いる。体も大きくてフィジカルも強そうだ。1点目はKOINが右コーナーまで持ち上りマイナスのセンタリングを上げ、DAICHI-KUNが押し込む。セカンドハーフには左コーナーに詰めたKOINがセカンドボールを押し込んでゴールを挙げる。1アシスト、1ゴールの活躍。
 第2試合は12:00PMから暁星アストラ・ジュニアと、試合はスコアレスドロー。暁星だけにフランス人のハーフの子が居る。なかなか国際色豊かだ。暁星が4:1で福生牛浜に勝っており、得失点差で2位に。明日は2位リーグに廻る。2:00PMに帰宅。

※写真をクリックすると拡大されます。

2009年11月13日金曜日

船に乗れ

 「船に乗れ!Ⅲ 合奏協奏曲」読了。全部で237ページのうち156ページまではWEBマガジン・ブンゲイ・ピュアフルで読んでいたので、今回読んだのは81ページだけだったが、テーマが重いので読み応えがあった。結局サトルはチェロを辞めてしまうのだが、音楽は、音楽をやっている人、辞めた人、やらなかったけれど好きな人、音楽を愛する人であれば、どんな人にも万人に感動や幸福感を与えてくれる。
 今、世の中に出て有名になった人以外にも幼時から英才教育を受け、挫折した人はそれこそ星の数ほど居るだろう、私のように何もやって来ず、何の才能も持たず、何の努力もせず、平平凡凡に生きて来た者には、窺い知れないことだが、その挫折感や如何許りのものだろう。それを引き摺って生きる人、立ち直る人、様々だろうが、重い人生なんだろうなとただただ想像するばかりである。
 人生を真剣に生きれば生きるほど悩み苦しむものなんだろうなと思うが、悩みや苦しみには正面から向き合わず、ドロップアウト人生を生きて来た私は読書やサッカーやギターにひたすら逃げ込んで何とか能天気に生きている。

2009年11月12日木曜日

中村憲剛

 「永遠のサッカー小僧 中村憲剛物語」読了。
 小学校時代は街のサッカークラブ府ロク。憲剛は小学校3年生と5年生の時に飛び級で1学年上の4年生チームと6年生チームに呼ばれ、東京都大会で2度優勝する。6年生の時には関東選抜こ招集されているが、身長はまだ136㎝しかなかった。
 中学では新設された中学1年生だけのクラブチームに入るが、負けてばかりで嫌気が差し半年ほどで辞めてしまう。中学2年で学校のサッカー部に入部するが、小金井二中は弱いチームで殆んど一回戦負けだった。
 高校は強豪国学院久我山を受験するも失敗。公立では強い都立久留米高校へ進学。3年の時にはキャプテンとして準決勝まで進んだが、帝京に敗れ、高校選手権には出場できなかった。
 大学は滑り込みのサッカー推薦で中央大学へ進学、4年生の時、当時J2だった川崎フロンターレのテストを受け合格、はれてJリーガーになった。
 体も小さく、脚も遅い憲剛もその弛まぬ努力で今では押しも押されもせぬ日本代表になった。そんな何処にでもいるチョッとサッカーの上手い少年が何度も挫折を繰り返しながらも日本代表に登り詰めて行く姿を追った、青春サッカーノンフ。TVで観るといつもニコニコしていて、そこらにいるニイチャンみたいで好感を持ってみていたが、ヤッパリ見た目通りの良い奴だなと思ってホノボノとした気分にさせて呉れる。
 8:00PMからはギターレッスン。相変わらず練習不足で進歩がなく、もうブログに書くのもイヤになったが、不思議と辞めようと言う気は起らない、少しだけでも練習すれば良いのだが…

2009年11月11日水曜日

船に乗れ

 WEBブンゲイ・ピュアフルで 「船に乗れ!Ⅲ合奏協奏曲」藤谷治、JIVE、2009.11.15、を読んでいたら、南枝里子が登場してきたところで突然打ち切られ、続きは単行本で・・・とある。シマッタ!まんまと引っ掛かったと思ったが後の祭り、著者の思惑通り、栗平のブックポート203へ走る。
 ところがWEBで11月8日発売とあるのに未だ店頭には届いていない。店長さんが版元に問い合わせて呉れ、宅急便で2~3日中に届くからお待ちくださいと言われ、ハイハイと調子良く答える。
 「したくないことはしない 植草甚一の青春」津野海太郎、新潮社、 2009.10.30、2,310円を購入。先日渋谷のブックファーストへ行った時に、植草甚一が昔晶文社から出していた、大判の単行本「僕は散歩と雑学が好き」他を発見。若い頃、全ての植草さんの本を買い漁って読んでいたのを思い出し、良いなあ欲しいなあと思っていたところだったので一も二も無く購入。著者の津野海太郎さんも本の雑誌で連載していたのを読んでいたので、良いなあと思っていた。
 ついでに「永遠のサッカー小僧 中村憲剛物語」はありますかと訊くと、中村憲剛がこの本屋さんと隣のパスタやさんにチョクチョク来ると言う。そう言えばフロンターレの練習場が直ぐ近くだった。今度会ったらサインをもらおう。ただ肝心の本は売り切れで版元に頼んでも増刷の予定はないとのことだ。
 さっき待つ振りをしたが、2~3日も待てる筈もなく、その足で若葉台の蔦屋書店へ行く。ところが蔦屋書店にも「船に乗れ」がなく、熊沢書店稲城店へ行ってみる。しかし、ここにもない。対応してくれた書店員さんの顔を見たことがあって、訊くと「以前、菅城下に家を建ててもらいました。」だって、お客さんだった。お恥ずかしい。
 ここまで来たらと思い新百合ヶ丘の有隣堂へ行ってみる。もう、探すのも面倒になり、書店員さんにイキナリ訊くと「これですかーと直ぐ持って来てくれた。」ヨカッタヨカッタ。ついでに、 「永遠のサッカー小僧 中村憲剛物語」はありますかと訊くと、平積みになっているのを持って来てくれた、ここには沢山あるみたい、本屋さんの力関係なのかなあ。森沢明夫、講談社、2009.10.8、1,575円を購入。ブックポート203には未だ入ってなかった「本の雑誌12月号」もここにはある。これは小田急本線の急行停車駅と支線の多摩線の駅の違いだろう。
 あれもこれもで結局6,245円も本を買ってしまった。5Fのカフェでアイス・カフェ・オレを飲みながら早速読書。これで幸せ気分になれるのだから、しょうがないか。川崎図書館に「永遠のサッカー小僧」を予約してあったんだっけ、早速キャンセルしなくちゃ。

2009年11月10日火曜日

ラフマニノフピアノ協奏曲全集

 itunes storeで「ラフマニノフピアノ協奏曲全集」ベルント・グレムザー、アントニ・ヴィト指揮ポーランド国立放送交響楽団をダウンロード。ピアノ協奏曲第1番、第4番、パガニーニの主題による狂詩曲等全38曲が入っていて1,600円は安い。早速聴いてみて、早朝から幸せな気分になる。
 昨日は稲田堤のDISK UNIONへ行き、「ムソルグスキー・展覧会の絵、チャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番」ウラディミール・ホロヴィッツ、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団、同じく「チャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番、ラフマニノフ・ピアノ協奏曲第3番」アルカディ・ヴォロドス、小澤征爾、ジェイムス・レヴァイン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、「ベートーベン・ピアノ協奏曲第5番皇帝、ピアノソナタ第110番」アルフレッド・ブレンデル、ジェイムス・レヴァイン指揮シカゴ交響楽団」を購入、昨晩も幸せな気分になった。本1冊とCD1枚で幸せ気分になれるのだから、つくづく安上がりな男だな・・・と思う。

2009年11月8日日曜日

サッカーボーイズ

 10:00AMに自宅を出発、稲城大橋を通って、天文台通りを武蔵野市の武蔵境駅近くのコインパーキングに車を置いて、しろがね第2公園グラウンドで行われている杉並シーダーズの練習試合を観に行く。5年生も来ていて2試合やっていたが、さすがにうまい。4年生も2試合行って、両試合とも勝ったが、KOINは第1試合で2得点、第2試合で1得点挙げる。いよいよ今度の土・日は府中市 少年サッカー場で行われる、東京都ジュニア大会。土曜日に予選リーグを行い、勝ち抜けると、日曜日が決勝トーナメントだ。
 12:50PMに終わって、1:00PMから始まっているJFL、FC町田ゼルビアvsソニー仙台FCを観に行こうと思ったが、途中車が混んでいて断念。昨日教えてくれた選手達が出場しているので応援したかったのだが残念。後刻、インターネットでチェックしたら1:1の引き分けだった。ついでに高校選手権の予選もチェックすると、神奈川は桐光学園が県立秦野高校に勝ち、武相高校が日大藤沢を破り、決勝は桐光vs武相。東京都Bブロックは東久留米総合高校が実践学園を破り、修徳が東京朝鮮高校に勝ち、決勝は東久留米vs修徳、何とか都立高校に勝ってもらいたいのだが・・・

2009年11月7日土曜日

シニア・サッカー教室

 今日はFC町田ゼルビアが主催するシニア・サッカー教室に初参加した。10:00AMに家を出て、先ず多摩堺のゼビオへ行き、サッカー・トレーニング・シューズとサッカー・ボールを購入。小野路交差点角のFC町田ゼルビア・フットサル・パークへ12:30PMに到着。
 3,500円を支払い、先ずはストレッチから、体が硬いし、かなり鈍っている。現役のJFLの選手がインストラクターなので、人気があり、結構若い人が多い。カラーコーンを使ってランやジャンプを3周、ウォーキングもジョギングもやって来なかったので、早くもジャンプがきつくなり手抜き。ここから初めてボールを使い、フェイントのやり方を教わる。ボールの扱いがままならない、KOINがいかに上手いか良く分かった。途中休憩を取りながらなのに2時間の教室のうち1時間10分で早くもリタイア。
 初めてで無理をして後が続かなくなるより、又来ようと思ってるうちに止めて置く。ただ、ここから5組に分かれて、一番楽しいフットサル・ゲームなのに参加できなかった。でも、脚を攣る人が出たりして、結構きつそうだ。
 前からフィジカルが強いって訳じゃないけど、5月末に会社を辞めて以来のグータラ生活が祟っている、69㎏だった体重も74㎏に増えているし、次回までシッカリ準備してフットサルが出来るようにしよう。キツイけど楽しい、タバコをやめて、もっとフィジカルを鍛えて参加すれば、もっとずっと楽しくなる筈だ、と思うのだが・・・ 自慢じゃないけど、意志の弱さだけは自信があるからなあ??? それにしても、筋肉痛が酷い。

ベンチャーズ

 KAZUSANからベンチャーズEPコレクション4枚組を借りて、I-TUNEにダウンロード。これはスゴイ!全103曲、「ウォーク・ドント・ラン」「パイプライン」「10番街の殺人」「キャラバン」等の定番から「悲しき街角」「愛さずにはいられない」「夢のカリフォルニア」等のオールディーズ、「モア」「アラモ」「バットマン」「逃亡者」「ナポレオンソロのテーマ」等の映画、TVのテーマソング、「君といつまでも」「夜空の星」「夕陽は赤く」等の加山雄三サウンド、「二人の銀座」「ブルー・シャトー」「北国の青い空」等の歌謡曲まで入っている。BGMで掛かっていてもチットも気にならない、このイージーで軽いノリのサウンドは究極の癒しサウンドだ。KAZUSANは昔キョードー東京に勤めていて、ベンチャーズ日本公演の際、帯同して一切合財のマネージメントをやっていたそうで、モズライトを2本もらって持っていると言う。今度、貸してもらって一度弾いてみたいものだ。

2009年11月6日金曜日

赤いカンナではじまる

 昨晩は3週間振りのギターレッスン。その間、家で練習してなかったので、ほとんど忘れている。ひどすぎる!3週間で、こんなにも忘れてしまうものか、最初からやり直しだ。先生は「直ぐ、思い出しますよ。」と言うが、レッスン・フィーの無駄遣いだ。明日はサッカー教室だが、こちらも全く準備をしてない。少しジョギングとかストレッチとかサッカーボールで遊ぶとかしておけば良いのにとは思うのだが・・・
 「赤いカンナではじまる」はらだみずき、祥伝社、2009.10.28、1,500円。「サッカーボーイズ」のはらだみずきが初めて描くサッカー以外の小説。出版社の営業マンと書店員を描く短編集。登場人物はチョッと癖はあるのだが、悪い奴じゃない普通の人達、何だかシミジミさせてくれる。

 

2009年11月5日木曜日

アーセナル

 NHK BS-1でプレミアリーグ、アーセナルvsトットナムを観る。3:0でアーセナルの圧勝。早いパスを回して、典型的なプレミアリーグ戦法、キックアンドラッシュのトットナムを翻弄するのはリーガエスパニョーラを観ているみたいで小気味良い。今読んでいる「サッカー狂時代」ニック・ホーンビィ編、ロディ・ドイル他著、キネマ旬報社、1995年6月初版がプレミアリーグと下部リーグ、スコットランド、アイルランドのサッカー狂の話しなので、余計興味をそそられる。「英国のダービーマッチ」ダグラス・ビーティ、白水社、2009年9月初版もTV観戦するうえに興味を増してくれる。

2009年11月4日水曜日

パリ左岸のピアノ工房

 「パリ左岸のピアノ工房」T.E. カーハート、新潮社、2001.11.30。"The Piano Shop on the Left Bank, The Hidden World of a Paris Atelier" Thad E. Carhart
稲城図書館で借りて読んだ。パリの裏町の謎めいたピアノショップ。パリに住む異邦人、アメリカから移り住んだわたしは入りたくてしょうがないのだが、気後れしてなかなか入れない。ある日意を決して、思い切って入ってみる。そこからこの物語は始まる。ピアノへの思い入れは深く、ピアノに関するありとあらゆることを調べ上げる。構造、歴史、演奏家等々、挙句はイタリア北部のピアノメーカーの工場へ見学に行ってしまう。スタンウェイやヤマハから最高級のファツィオーリまで、著者のオタク振り、ピアノへの、のめり込み振りがタップリ楽しめる。パリの裏町へ行ってみたいな。
 この本を読む時のBGMにCDを3枚買って来た。「ラフマニノフピアノ協奏曲第2番&4番」ウラディミール・アシュケナージ、ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセントへボウ管弦楽団。「ショスタコービッチピアノ協奏曲第1番&2番」エリザベス・レオンスカヤ、ヒュー・ウルフ指揮セントポール・チャンバー・オーケストラ。「バルトークピアノ協奏曲第1・2・3番」ピーター・ドノホー、サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団。折角ただで本を借りたのに、これじゃ却って高く付く。

2009年11月3日火曜日

オトン、サッカー場へ行こう!

 昨日、朝7:50AM頃電話が掛かって来た。こんな時間に何だろうと思って出ると、「早く! もうスタートするよ!」とMr.Hiraiからだった。てっきり翌日だとおもっていたゴルフ・コンペが今日だった。着の身着のままで、車で5分程のよみうりゴルフクラブへ行った。もう、ロッカーも借りずに、車でスパイクに履き替えて集合場所へ行くと、ミンナ、ゲラゲラ笑っている、恥ずかしい。INスタートで前半は47。ショットは良かったが、パーオンしても3パットばかり。昼食を摂って、午後は出だし3連続パーで良くなったかなと思った途端ダボが出て、いつも通り、44でホールアウト。ドラコンを1つ取った。ニアピンも近かったが、残念カラーに掛かっていた。6:30PMから京王稲城の「梅月」でパーティ。アンコウ鍋が旨かった。
 一昨日の晩、投稿しているWEB本の雑誌「たなぞう」をチェックすると「アヴォカド」さんから「オトン、サッカー場へ行こう!」吉崎エイジーニョ、新潮社、2009.1030、1,260円、が面白そうだとのこと。早速、川崎図書館と稲城図書館を検索したが、さすがに10月30日発売なので未だ無い。栗平のブックポート203へ電話すると1冊だけあると言う。取り置きしてもらい、購入。帰宅後直ぐ読み始め、一気読み。

2009年11月1日日曜日

高校選手権

 KOINが杉並シーダーズのU12の試合に2学年飛び級で出ると言うので、府中の朝日サッカー場へ観に行こうとしていたが、昨日の練習で軽い肉離れを起こし、残念ながら欠場となり、急遽、保土ヶ谷公園サッカー場へ高校選手権神奈川県予選、準々決勝を観に行く。初めて行った保土ヶ谷公園は広くて、緑が濃く、素晴らしい環境。サッカー場もスタンドこそ小さいが、良いサッカー専用スタジアムだ。収容人員の関係だろうけど、何でここをもっと使わないかと不思議だ。準決勝、決勝は陸上競技場で行なう、サッカー関係者あろう者が平気な顔で、サッカー専用スタジアムではなく、陸上競技場を使うことに違和感を覚える、サッカー愛が足りない。
 第1試合は県立秦野高校vs相洋高校、1:0で公立高校が勝った。予算の少ない公立高校が頑張っていると何だか嬉しくなる。秦野高校は偏差値も61で県内でもかなり高い。川崎市に当て嵌めると、1位の多摩高の66には及ばないが、2位の生田と同じだ、結論。野球に文武両道は無いが、サッカーは文武両立する! 第2試合は準々決勝から初登場のシード校、桐光学園vs三浦学苑。2:1で桐光が勝ったけど、三浦の19番のフォワードは良い選手だ。将来必ずや大成するに違いない。スピードが他の選手とは数段違っていて、何度も桐光のディフェンスを置き去りにしていた。
 会場でプログラムを購入したら、神奈川県代表に相模工大付属高校(現湘南工科大学付属高校)が9回も代表になっていて、1973年、1974年には連続全国3位になっている。先日亡くなったTECCHANが同校サッカー部出身だと、告別式の挨拶でお父さんが言っていた。最後の代表が1980年だから、彼が入学する前だが、レギュラーだったんだろうか、今となっては聞くべくもないが・・・